2019年4月14日 (日)

女子学生へのメッセージ

今春、社会人になった娘さんを持つ知人の女性から、昨夕、母娘で話題になったという、東大の学部入学式での上野千鶴子さんの祝辞の全文がメールに添付して送られてきた。

上野さんが祝辞を述べたことは、テレビのニュースで知っていたが、詳しい内容まで知らなかったので、改めて目を通して、さすが、上野さん、よくぞ言ってくれたと、うれしくなった。

ありきたりの祝辞ではなく、昨年の東京医科大学の不正入試問題で発覚した、女子学生と浪人生の差別の話に始まり、それが全国の医科大学や医学部の入試でも、同じような傾向がみられること。文科省のコメントでも、「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女史が優位な場合が多い」と述べていること。事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子の偏差値より高いことを示していると述べておられます。

でも、東大入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を超えられず、今年度はさらに下がっていた、付医学的には偏差値の世紀分布に男女差はないから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験しているのだが、この差は瀬尾籍の差ではなく、「息子は大学まで。娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果だと指摘されています。

さらに、東大には今でも東大女子が実質的に入れず他大学の女子のみに参加を認める男子サークルが、自分がいた半世紀前の時代から続いていることに驚いたことを述べ、「これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会で、偏差値競争にも男女差はないけれど、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっている。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しているし、東京大学もまた、残念ながらその例外ではない」と指摘されています。入学式の祝辞で、ここまで踏み込んだ勇気ある発言をされた上野さんに深い敬意を表するとともに、そんな上野さんを採用し、男女共同参画担当理事・副学長に据えた東京大学の懐の深さにも、改めて頭が下がりました。

祝辞では、さらに、「皆さんは、頑張れば報われると思ってここまで来たかもしれないが、社会はそうではない」こと、さらに、「あなたたちの頑張りを、どうか自分が勝ちぬくためだけに使わないでほしい。あなたたちの恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を貶めるためではなく、そういう人々を助けるために使ってほしいこと。そして、強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてほしいと注文をつけておられる。

知人の娘さんは、女子だけの学校から東京の私大へ進み、大手企業に入ってまだ半年余りだが、社会に出て、そうした差別があることを身をもって実感しているようで、上野さんのメッセージに大きく勇気づけられたようだ。知人は個人で営業している獣医師のため、これまであまりそうした差別を実感したことはないけれど、個人的に参加している勉強会などで、女性が少ないらしく、上野さんのメッセージになるほどなあと、共感する部分が多かったという。

私が大学にいたころに、ちょうど「女子大生亡国論」が話題になって、当時の女子学生たちは、おおいに憤慨したものだが、あれから半世紀以上たった今も、法律や制度の上での男女平等はかなり進んできたけれど、実際には根強い差別がまだまだあるのだなあと驚いた。上野さんのような影響力はないだろうが、働く女性の先輩として、私もまだまだ頑張って発言していかなければいけないなと改めて考えさせられた。

 

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2019年4月 4日 (木)

フェイスブックの不思議

フェイスブックを始めて、もう何年になるだろうか。職場の後輩がフランスに短期留学する間、現地からの報告をフェイスブックでするからと言われて始めたのがきっかけだが、アメリカに住んでいる姉やその親族とも、これがきっかけで新たなつながりが生まれ、英語で寄せられるコメントに返事をするのに四苦八苦するなど、想定外の苦労もあるが、時差を超えて、何物にも代えがたい魅力だ。

しかし、私ももう後期高齢者と呼ばれる歳で、姉はこの1月で90歳になった。住居が冬は雪が積もる寒い地方にあるとかで、このところ、毎年の意ように、冬に間はクルーズで世界各地を回っており、珍しい景色や船上での楽しいイベント等の写真入りのたよりが、今年も毎日のように届いていた。私の友人たちとも、フェイスブックでつながって、お互いの投稿にコメントしあうこともあり、ネットの面白さを味わってはいるが、もし、病気になったり、万一死んだりしたら、この投稿の記録はどうなるのだろうと、ふと考えた。

偶々、私が元いた職場の同人会会報の原稿を見ていたら、その中に2年前からフェィスブックを始めた人の話が載っていたのだが、その人が始めたきっかけが、同じ職場のほかの部署の先輩が投稿しているページに出会ったのがきっかけだったようだ。2012年2月から始まり、20013年9月で終っている最後の投稿は「余命1-2ヶ月と宣告された」と記されていたという、その日ニアップされていた自分の写真が、結果として遺影になったようだと記されていた。そうか、その人が亡くなっても、ページは残るのかと思うと、ちょっと複雑な気持ちがした。

この広い世界の中に、こうした幽霊ページがたくさん浮遊しているのだろうか。自分の意思でそれまでの記録をすべて消去することはできそうな気がするが、消去できないままにあの世に行った場合、フェィスブックの記録はどうなるのだろうか。もともと、こうしたコンピュータの世界に詳しいわけではなく、このブログやフェィスブックを立ち上げる時も、親しい知人に頼んで立ち上げてもらったのだが、自分がmっと年をとって、頭がぼけたり、突然の病気で倒れたりしたときのことを考えておかねばならないなと思う。

でも、考えてみれば、このブログも同じことだ。最近は、簡単に写真入りで投稿できるフェイスブックの方に専ら投稿していて、こちらはさぼり気味だが、後世まで残るページだと思うと、何だか書くのがこわくなる。などと云いつつ、久しぶりのブログにこんな悩みを投稿しました。

 

 

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2019年2月 7日 (木)

公文書の保存と活用

テレビの国会中継を見ていると、連日、厚労省の統計資料のいい加減さについての質疑が続いている。昨年は、モリカケ問題を通じて、公文書の書き換え等,ずさんな管理体制が大きくクローズアップされたばかりだが、我が国の公文書はいつからこのように国民の信頼を裏切るいい加減なものになってしまったのだろうか。

そんな折、海外アーカイブズ・ボランティアの活動を長年続けている大学時代の友人から活動仲間たちと、『公文書をアーカイブする』と題した本を出版する予定で、今準備を進めていることを知らせてきた。最近の公文書保存の言いかげんさに耐えかねて…と、出版の動機を記していて、やっぱりなあという思いだった。

もっとも、彼女が担当するのは、一般の家庭での家族の資料の保存や学校のアーカイブの話らしく、私にメールしてきたのは、佐用町の私の実家でたまたま見つかった古文書の話を「文書の救済と登録文化財」と題した章の中で書きたいので、資料や写真の提供に協力してほしいという依頼のためらしく、もちろん即座にOkの返事を出した。

家族の資料の中でも、昔の家の資料をどうするかは、田舎の空き家問題が深刻な現代の日本では、大きな問題だ。わが家の場合は、たまたま町のイベントに協力を求められ、何かみんな意味てもらえるような資料がないかと、屋根裏部屋を探していて、偶然、ご先祖さまが遺した多数の古文書類を発見したのがきっかけで、大学で史学を専攻していた彼女に、江戸時代の古文書を専門に研究している後輩の学者を紹介してもらい、格的な調査が始まったという経緯がある。

最近は、こうした地域の文化財を「登録有形文化財」とする法制度があり、申し出によって国や県によって認定してもらうこともできるという。こうした建物をコアとして地域おこし、町おこしの場として使用している例もあるようで、そのあたりのことをまた彼女からいろいろ教えてもらいたいと思っている。

わが家の場合、残されていた資料は、江戸時代の中期からk明治にかけての長い期間にわたり、勘定方をしていたご先祖さまのお城勤めや参勤交代に関わる公的な文書も結構交じっていて、個人の所蔵とはいえ、公文書的なものも多く、今の役所勤めとは随分違っていたようだ。

ともあれ、彼女に協力する傍ら、私も少し暇ができたこともあり、わがご先祖さまの昔の生活ぶりを、資料から読み解き、文章としてまとめておく作業を進めたいなと改めて思った。、

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2019年1月14日 (月)

女性の時代?

新年早々、テレビに出ることになった。地元の奈良テレビが毎週金曜日の夜に流している県政関係の報道番組で、25日に放映される「女性活躍」をテーマにした回のコメンテーターを頼まれたのだ。この日の放送は、荒井知事の肝いりで昨年末に発足した、「女性活躍推進倶楽部」と名付けた地元の企業の集まりが取り組んでいる、女性のための働きやすい職場づくりの現状とそこで働く女性たちの姿を映像で紹介し、再就職を望んでいる女性たちの後押しをしようというのがねらいという。

奈良県はもともと、女性の就業率が全国でも低く、それが長年の懸案になっていた。大阪のベッドタウンとして昔から県外就労者が多く、私も実はそのひとりだったが、女性の場合、遠距離通勤では家庭との両立がなかなか難しい。でも、結婚や育児で退職した女性の中にも再就職を望む声は多く、そんな女性たちの後押しになればとつくられた「女性活躍推進倶楽部」には、現在80社余りが加盟している。

実は今年のお正月に、「女の時代、なんていらない?」というコピーの広告が新聞の一面広告に出て話題になっていた。女だから、と強要される、女だから、無視される、女だから、減点される。そんな女の時代なんていらない。わたしは私なんだから」ーーこの叫びはまさにその通りだと思う。女の時代なんてもてはやされているうちは、本当の女の時代は実現しない。安倍政権の成長戦略の一つに、女性の活躍があげられ、「女性活躍薬推進法」も制定されたが、本当に大切なのは、まだまだ根強い性別役割意識の払しょくと、男性も含めた働き方の見直しだと思う。そんな思いもあり、番組では、働く女性の一先輩として、これから再就職を願う女性たちに、私自身の思いを伝えられればいいなと思っている。

思えば、”女の時代”という「ことばが広告で初めて使われたのは、80年代に入って間もないころだ。「いま、どれぐらい”女の時代”なのかな?」こんなキャッチコピーの広告を、すごく斬新な思いで受け止めたのを覚えている。今回と同じ西部系列の百貨店の一面広告で、その後に続いていたことばを今でもよく覚えている。

「もともとこれは、あまりにも長く続いた男性中心の社会に対する?として誕生したことばです。男性がいる、そして同じ数の女性がいる。この当たり前の事実を、社会がやっと真剣に考えるようになってきた。だから、”女の時代”はまだやっと幕が開きかけたところ。本当のものにするには、この言葉を支え、育てていく多くの手が、知恵が、仕組みが必要なはずです」。

あれから40年余。”女の時代”は、果たしてどこまで実現したのだろうか。

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2018年12月10日 (月)

日米郵便局事情

ひょんなことから、アメリカにちょっとした荷物を送る必要が生じて、国際郵便を利用したのだが、思わぬトラブルが起きて、あわてるはめになった。

送ったのは、1枚のCDである。アメリカに住む姉の娘から、フェイスブックのメッセージを通じて、姉が来年1月に90歳の誕生日を迎えるので、アメリカに住む子供や孫たちが集まりお祝いの会を企画していること。ついては、日本からもお祝いのメッセージを動画で送ってもらえないかと依頼を受けたのである。動画など、これまで撮ったこともなかったが、姉の90歳の誕生日はめでたいことだ。何とか協力したいと、息子一家が集ったときに、ひとりづつお祝いのメッセージを述べてもらい、それを夫が動画に撮影してくれた。最初は、パソコン上で送るつもりだったが、カメラで撮影した画像は容量が大きすぎて送れない。容量を小さくする方法を、いろいろ教えてもらって試みたがうまくいかず、結局、CDにして送ることにした。

最寄りの郵便局に持参して、できるだけ確実に早く送れそうなMNSと称する速達便で発送した。姪にはすぐに連絡したが、待てど暮らせど、届いたという連絡が来ない。1週間後に日本側の問い合わ窓口に電話で尋ねると、「アメリカには間違いなく届いている」という返事だったので、安心してもうしばらく待つことにした。

ところが、いくら待っても到着したという連絡が来ない。4,5日で届くという速達便で送ったのに、3週間たっても届いていないようなので、再度、窓口に訪ねると、「先方に届けられなかったので返送されることになったようだ」と思いがけない返事に青くなった。届けられなかった理由を尋ねても、こちらではわからないというばかり、アメリカ側の問い合わせ窓口の電話を教えてくれたが、英語で尋ねるだけの力量も度胸もなく、困ったことだと半ばあきらめていたところ、入れ違いに姪から、郵便局に連絡したら、荷物が届いているらしいと連絡があって??? ただし、受け取るには本人のサインがいるため、郵便局まで受け取りに来てほしいということで、さらに何日か後に、ようやく、姪の手元にCDが無事届いたようだ。

日本では郵便物や宅配便は、すべて家まで配達してくれる。希望の時間帯まで指定できる上、留守をしていれば連絡票を入れておいてくれるので、あて名さえ間違えなければ、必ず先方に届く。万一、郵便局に出向かねばならないとしても、自宅のすぐ近くに郵便局があるけれど、広大な面積のアメリカでは、最寄りの郵便局といっても車で何時間もかかる場合が多いため、普段は、それぞれの地域ごとに私書箱的なポストが設けられていて、郵便物はそこに配達されるようだ。だから、サインのいる荷物の受け取りは、大きい郵便局まで出向かねばならないというわけだ。

仕事で留守がちな姪の場合、郵便局からの連絡が本人にうまく届かず、荷物がそのままになっていたのだろう。だが、送った側としては、やきもきする3週間だった。再度窓口に問い合わせしたときには、返送することになっているとまで言われてびっくりした。しかも、返送は速達ではないので、船便なら1カ月ぐらいかかるかもしれないとの返事に、もう一度びっくり!「一体、何のために、速達で送ったのダ!」とひとりで憤慨した。

無事に先方に到着した動画の反応はまだ聞いていない。”作品”としては、家族がそれぞれ一言お祝いのメッセージ(日本語と英語取り交ぜて)を述べるだけなのだが、やきもきしながら到着を待ってもらっていた分、作品の価値も上がっただのでは…と信じている。

お姉ちゃん、90歳のお誕生日おめでとうございます!

これからは、相手国の郵便事情をもう少しよく調べてから送ることにいたします。

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2018年11月27日 (火)

旧三日月藩の武家屋敷

連休を利用して、兵庫県佐用町に行っていました。ここは、私の父方の郷里で、今は空き家になっている家は、古い武家屋敷のつくりです。ご先祖様が、旧三日月藩の藩士として、津山からこの地に移り住み、幕末最後の藩士になる曽祖父が、維新後もこの地にとどまり、県会議員などをつとめていた関係で、江戸末期に一度改築された家は、ご近所に数軒だけ残っている屋敷の中では比較的いい保存状態で残されています。

年に数回しか帰省できないため、私の代でどこまで維持管理できるか自信はありませんが、陣屋を中心に作られた、旧三日月藩の面影が残るこの地域の雰囲気を後世に伝えるためにも、何とかこの地域の景観を守っていきたいと思っています。

今回、帰省したのは、ハクビシンだかアライグマだか、何か動物が、最近、この地域を荒らしていて、わが家の表門の板が破られたという連絡を受け、地元の業者にお願いして急いで修繕していただき、獣の方は、地元の漁師さんにわなをしかけていただくなどしたので、その成果を見るためでした。動物は結局、つかまりませんでしたが、家の中を荒らされた様子はなかったので、まずは一安心。でも、以前、タヌキが家の中に入り込んでいたこともあり、動物の被害はその後も地域内で続いているようなので、またいつ荒らされないとも限りません。

わが家が建っている通りは、4軒の武家屋敷の白壁が続いていて、なかなかいい景観ですが、現在人が住んでいるのは1軒だけです。わが家の左隣の家は、荒れるがままになっていて、かろうじて外観を保っていた門も、今や崩壊寸前で、危険な状態になっています。

今のままでは、せっかく、田んぼの中にわずか数軒残る武家屋敷が立ち並ぶ景観は早晩失われてしまうでしょう。たまたま、昨年春に、昔の城下町の表門が戻ってくる話があり、それに合わせて、地元で「武家屋敷マルシェ」という名前の催しが始まり、陣屋を中心にしたまちあるきツアーや地元で見つかった古文書の解読の講演などの催しが開催されるようになり、その日はわが家も開放して、古文書類を見てもらうなど協力しています。

でも、今回のように、これからも度々、家の修繕や改築などが必要になるでしょうし、隣家のように放置したままでは滅びてしまう家も多く、今野景観を遺すにはどうすればいいか、真剣に考えなければならないと思っています。町も、催しの時の協力や古文書の保管などには協力的ですが、武家屋敷を個人に代わって維持管理してくれるだけの財源はないようで、この先、どうすればいいか、頭が痛い問題です。

この様な武家屋敷が残されているのは、全国でもごくわずかと聞いています。この地区の景観保存に関心を持って、協力してもらえる方なり団体なりがあれば、いいのですが。

私たちももういいトシなので、いつまで帰省できるかも自信がなく、頭が痛い問題です。

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2018年11月12日 (月)

帯状疱疹

最初は腰の痛みからでした。トシのせいだろうと、そう気にしていなかったのですが、痛みは日増しに強まり、夜も眠れないほどに。さすがにこれはおかしいと、近所の整形外科に行ったら、レントゲンを撮って腰椎すべり症と診断され、痛み止めの飲み薬と湿布をもらって帰りました。

でも、痛みは少しもよくならず、2,3日たって再度受診。もう少し強い痛み止めをもらい、電気治療を受けて帰宅。ところがその2日後、朝起きて着替えようとすると、左側の腰一面に、赤い帯状の発疹が出ていてにっくり。さすがにこれはおかしいと、皮膚科に行って、ようやく帯状疱疹とわかりました。

帯状疱疹は、だれもが体内に持っている水ぼうそうのウィルスが、年を取って体力が弱ったり、ストレスがたまったときに、身体のあちこちに出てくる病気らしく、早く直さないと、後も神経痛で悩まされることもあるのだとか。特効薬5日分と痛み止めをいただき、とりあえずそれで少し症状が治まり、皮膚科でも、一応、一番危ない時期は過ぎたと言われ、念のためにと、2週間分の痛み止めのお薬だけいただいて帰宅したのですが、その翌日から、また夜中の痛みがひどくなり、眠れない夜が復活しました。

どうやら後は、痛みの治療のペインクリニックしかないとわかり、ネットで調べて、最寄りのクリニックで、今、神経の痛みを止めるお薬をいただいています。最後の手段は、痛み止めのブロック注射しかなく、週に1回の注射を何回か続けねばならず、それで治るかどうかもわからないと言われて、どうしようかと、今、迷っているところです。

それにしても、この病気の痛さは、言葉では表しにくく、少々のことにはたじろがない私もいささか参っています。このとしになっても、いろいろ初体験はできるものだなと、変なところで納得しながら、目下、病気の試練と闘っております!ストレスには強いはずでしたが、やはりトシには勝てないのでしょうか。

それにしても、帯状疱疹が出るのが外から見えないところで良かったです、中には顔や頭に出る人もいるそうで、重症になるケースが多いとか。

¨第3の人生”なんてうかれていたから、バチが当たったのかも…と反省しきり。暫らくおとなしく養生いたします。

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2018年10月22日 (月)

第3の人生?

奈良県の人事委員を8年間つとめてきましたが、その任期この10月で終わり、先日、荒井知事から感謝状と記念品をいただきました。

定年後、大阪府立文化情報センターの所長として7年間務めた後で、頼まれて引き受けた公務でしたが、職員の給与や働き方に関する人事委員会勧告をはじめ、職員採用試験の最終面接や、県議会への出席など。結構時間的な拘束が多く、ほかにもいくつか公務と公益財団法人関西消費者協会の仕事を持ちながら、奈良と大阪を行き来する日々は、予想以上にあわただしく、何だかあっという間に過ぎた感じがします。

新聞社の定年日がお誕生日の8月7日で、文化情報センターの仕事が9月1日から始まったため、定年後はあれをしたい、これも…と考えていた夢が、何も実現しないまま、r非常勤勤務ながら、週5日のフルタイムの勤務が約7年間続き、センターの廃止で失職?した3月31日の翌4月1日から、関西消費者協会の副理事長を引き受け…、その後に奈良県の人事委員の仕事…と、何となく、切れ目のないまま、突っ走ってきた日々から、これでようやく解放された気がします。

先日、荒井知事から感謝状をいただいた折に、「これからどうされるのですか」と尋ねられ、一瞬うろたえました。定年後の人生を、第2の人生と呼ぶなら、さしづめ、これからが第3の人生。定年後にあれもしたい、これも…と考えていた夢を、今度こそ実現したいと、先日、読売大阪同人会の近況報告で書いたところですが、さて、この年齢から、一体何ができるのだろうと、改めて自分のトシを考えてしまいました。

幸い、今のところ、健康にはさほど問題はなく、まだまだ動き回ることはできるけれど、これといった趣味もなく、一体何をしたいのか、改めて自分に問いかけてみましたが、やはり、私が一番好きなことは原稿を書くことです。これまで書きたいと思いまがら、取材する時間がなく、あたためていた自分なりのテーマがいくつかあるので、それを、もう一度、追いかけてみようかと考えています。

どこまでできるのか、わからないですが、完成しなくてもとにかく、自分なりの取材を続けて、温めてきたテーマを追いかけて、原稿にしたいと思います。あと何年生きられるのかわかりませんが、とにかく、残された日々を、自分なりに充実して生きていければと考えています。しばらくご無沙汰していたこのブログで決意表明することで、退路を断つといえばおおげさですが、とにかく、一歩、前に進んでいきたいと思います。

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2018年3月 9日 (金)

トシだからとは、もう言わない

大学時代の先輩で、同業他社の記者を長年つとめておられたMさんから、久しぶりにメールをいただいた。女性記者がまだ数少なかった当時は、会社の垣根を超えた交流もあり、いろいろ目をかけていただいた。彼女がつとめていた公職の後任に推薦してもらったことも何度かあり、奈良県の婦人問題懇話会の委員になったことが、その後の奈良県との長いご縁になった経緯もあり、彼女には感謝している。

メールは、彼女が現在つとめている地球環境問題にかかわる団体の役を、私に頼みたいという依頼だった。辞めたいと言ったら、だれか後任を推薦してほしいと言われたらしく、「たってのお願い」という。でも、私ももうトシだしと、ためらう気持ちが強かったのだが、改めて考えてみると、彼女はもう80代の後半のはずだ。トシを理由に断るわけにもいかない。おまけに、彼女が私に声をかけてきたのは、その仕事が年に1回程度で負担が少なく、しかも、謝礼等が少ないなど条件が悪いため、他に頼める人がいないのだという。そこまで言われては断るわけにもいくまい。しかも、そんな年齢まで、社会に役立つ仕事をと、頑張って続けておられたMさんのガッツに、改めて頭が下がる思いがした。

人生100年時代といわれ、後期高齢者でも、まだ先は長い。自分にできること、誰かの役に立つことなら、喜んで引き受ける前向きの姿勢を、先輩から学ばせてもらった。「知の巨人」と呼ばれる外山滋比古さんが、著書『老いの生理学』の中で、もの忘れについて、「忘却は自然の摂理である。過去を振り返るより、前向きにこれからのことを考える。そうすると自然に古いことは忘れる、余計なことは消えてなくなるという意味のことを書いておられた。もの忘れもそう前向きに考えればいいと教えられた、トシだからというセリフは禁句に使用。少なくともMさんの年齢までは、もう少し頑張っってみようと思った。

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2017年9月 1日 (金)

1年ぶりの再会

今年も「はなちゃんと仲間たちの会」が、、元の職場に近い谷町4丁目のホテルで開かれ、懐かしい顔ぶれが計15人集まりました。

大阪府立文化情報センター時代に、同じ職場で働いていた仲間たち。同センターが廃止されてもう何年になるのでしょうか。今はそれぞれ違う職場で働く昔の同僚が、年に1回、このような形で顔を合わせて旧交を温めるのは懐かしいし、うれしいことです。

きょうは、カメラを持参して行ったので、みんなの写真を、フェイスブックにアップしました。写真で改めてみると、あの頃と少しも変わっていない仲間たちの顔がそこにあり、あのころにタイムスリップしたような気分になりました。

この夏は、私より年下の親しい人が二人、相次いで亡くなったこともあり、これまで以上に¨一期一会”を大切にしたいと思うようになりました。

幹事さん、ありがとう。皆さん、ありがとう! 来年もよろしくお願いいたします。

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