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2015年3月18日 (水)

大学を出て50年…

私が大学を卒業したのは1965年の3月だから、今年でちょうど50年になる。半世紀という大きな節目を迎え、同じ年に阪大を卒業した女子学生(当時)たちに呼びかけて、集まってはどうだろう―と思い立ち、親しい友人に相談したのがきっかけで、とりあえず、何をやるかを決めるための幹事会を先日召集した。この日集まったのは、文学部2人と薬学部1人の計3人だったが、その席上、当時の思い出話が次々と飛出した。とくに、トイレに関しては、みんな苦労したようだ。何しろ、まだ女子学生が少なかった時代。一番多かった文学部でさえ、女性専用のトイレはなくて、男女共用のトイレを気兼ねしながら使っていた。文学部のトイレは、卒業間際に、新しい校舎ができたときに、初めて女性用ができたと記憶していたのだが、どうもそれは私の勘違いで、フロアによって、男性、女性と分けていただけで、女性専用ができたのは、私たちが卒業してかなり後のことという、薬学部の場合も、同じような状況で、新しい校舎の計画が出たときに、女子学生のひとりが、「女性用の化粧室はできるのでしょうか?」と遠慮しながら尋ねたところ、学部長をしていた男性教授が、「君は大学に化粧をするために来るのか。けしからん」と、いきなり大きな声で怒り出したのだという。「〝トイレ〝と口にするのを憚って遠まわしに言ったのが、男の先生には通じなかったのよね」という薬学部出身の友人の話に思わず吹き出しながら、そういう時代だったのだなあと、改めて実感した。

トイレに苦労した4年間をようやく終えて、入社した新聞社にもやはり、女性用のトイレがなく、1階にある男性用のトイレの奥の1室を、女性用としてもらったのだが、上が開いているのがイヤだという声が出て、板で天井までの隙間を囲いしていたことを思い出す。やがて、編集局のあるフロアだけ、ノトイレができたが、そこへ行くために広い編集局を横切って行かねばならず、できるだけ我慢して回数を減らすなど、女性記者はみんな苦労していたものだ。

トイレの話に花が咲いていた時、友人のひとりが、「ジーパン事件」の話を持ち出した。私たちが卒業して間もないころ、文学部にいた外国人の教授が、教室にジーパンをはいて出てきた女子学生を、「授業を受けるまじめさがない」と怒って教室から追い出したことが新聞記事になり、当時話題になったのだ。今野時代にはおよそ考えられないことだが、当時はジーパンなんてはいて通学する学生はひとりもいなかった。

「女子大性亡国論」が話題になっていた時代。でも当の私たちは、まだ女性の生き方について疑問を感じたり、男女差別やセクハラについて憤りを感じたりすることもなく、適当なロールモデルがないままに社会に飛び出し、いろんな経験を経て、少しづつ世の中に大きな壁があることに気付いていった。

就職してからも、まだ。育児休暇などはなく、産前産後休の休みが各6週間という厳しい条件の中で、周囲の助けを得ながら何とか仕事を続けてきた私たちの世代から見ると、今の時代の若い女性たちは随分恵まれていると思う。でも、反面、「均等法」施行以降は、女性だからという甘えは許されず、男並みに働くことが求められて、その分、結婚して子供を育てながら働き続けることは厳しくなっている。新聞社の後輩の女性記者を見ていても、結婚しないで仕事を続けている人が結構多い。支局勤務や泊まり勤務の多い社会部の仕事をしながら子育てをするのは確かに大変だろう。トイレに苦労することはなくなったが、女性たちの苦難は別の形で今も続いている。

卒業50年記念の事業では、とりあえず、全学部の女子学生たちの消息を調べて、卒業後、どのような人生をおくってきたのか、在学中、または卒業してからの人生で、女性として感じた差別はなかったか、あったとしたらそれはどういうことかをアンアケートしてみようということになった。質問項目を私が考えて、それを整理したうえで、郵送し、秋ごろまでに回収できれ倍否と考えている。

幹事会を招集する過程で、実はうれしい出会いがあった。私と同じ教育大付属天王寺高校から、阪大工学部に入り、その後医学部に入りなおしたと聞いていた女性と、50年ぶりに連絡がついたのだ。ネットで名前と、漢方の医院を開いているらしいという噂を唯一の手がかりに検索してみたら、たまたま彼女が茨木市で漢方の医院を開いていることがわかり、手紙を出したところ、彼女からすぐにメールで返信がきた。

高校時代、別のクラスだったのだが、私のことをよく覚えていてくれて、懐かしい出会いを喜んでくれた。旧制のままなのは、一児をもうけた後に離婚したためということもわかった。平日は診察があるということで、第1回の幹事会には出てもらえなかったが、50年記念の事業にはぜひ協力したいという申し出はありがたく、うれしかった。ひとり一人の卒業生に、それぞれの歩んできた道のりがあることを改めて思い知らされた。

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コメント

トイレのお話は若干時代が異なりますので実感がないのですが、ジーパン事件はテレビのニュースとして記憶にあります。最近テレビで石橋のキャンパスが写っていましたが、私の時代と比べても、かなり綺麗になっているようでした(卒業以来行ってません)。それにしても、全学部の女子学生たちの消息を調べて・・・とは、壮大な計画ですね。今後の楽しそうな幹事会で飲み過ぎないようにお気を付け下さい。

投稿: katsunari baba | 2015年3月19日 (木) 19時39分

音田昌子様
いいつも「まいんど」の「心に残ることば」を拝読して
おります。毎回心に残ることばで痛感して、感動しています。このページのみ保存しています。
有難うございました。

投稿: ogawa hiroaki | 2018年3月 3日 (土) 13時49分

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