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2015年11月 1日 (日)

闘病記

新聞記者時代の同僚だったNさんが先月、亡くなられ、きょう、その49日の法要が京都であり、別の後輩と一緒に行ってきた。数年前に、息子さんや娘さんたちがおられる東京に移られてから、年に1,2回、関西に帰って来られる折に顔を合わせる程度になっていたのだが、3年前に発病した咽頭がんが、昨年再発し、その手術の後がこじれて声を失い、2か月以上、絶飲食の状態で入院生活を続けておられたようだ。病床でつづられたという闘病記のコピーを奥様から帰りにいただいた。

「声を失って」とタイトルをつけた最初の手記は、気管切開のことから始まり、声が出せなくなり、筆談の生活になったこと、「肺ガン有情」と題した2つ目の手記では、咽頭ガンの再発のあとがこじれて、「しゃべること」と「食べること」というふたつの楽しみを奪われた生活がどんなにストレスがたまるものかについて、どちらも、ジャーナリストらしく自分の病状を淡々と見つめ、時にはユーモアを交えてつづっておられた。

病室のベッドの横のテーブルの上に、雑然と積まれたまんがや雑誌は、すべて料理や食べ物に関係したもの。たとえば、「包丁人生」、「クッキングパパ」、「美味しんぼ」のまんがや「幸せの老舗居酒屋」「日本酒の聖地」と言った特集の雑誌など…。それらの絵や写真を何度も見ていたとある。テレビハグルメ番組、タレントがおいしそうに食べる料理やデザートがアップになると、思わず眼鏡をかけて画面に向かう」というくだりには、その姿を想像しておかしかった。

闘病記の中にこんなくだりがあった。

「千日回峰の修行者は山道を歩いて、何を考えているのか。無心なのだろうか。あるいは成仏を念じたのか。これに対して、食べられないのに、料理やデザ^トの絵や写真に囲まれているのはどうだろうか。それでも、最もよく見たのは、人気のある駅弁の紹介と、大学食堂の名物献立だ。約半世紀前、四十五円でカレーライスが食べられる大学食堂、取材を終え、一合ビンとシュウマイ弁当を買って乗り込んだ帰りの新幹線、大げさに言えば、生きていることが食べることで実感できた時代である。そんな体験があるから、一流料亭やレストランでなかったのかもしれない。そして、いま食べられなくなって、食にある意味で意地汚く、こだわるようになったのである。「それは、正常な反応ではない」

文面ではそのあとに、医者から肺への転移を告げられたことが記されていた。レントゲン写真で肺がんを見せられ、自分の余命について、早ければ年内、遅い場合はわからないが、いずれにしろ、死期はそんなに遠くはないだろうと覚悟する。そして思う。余命が限られているにもかかわらず、人が生きる際の楽しみの基本である「食べること」を医者によって制限されているのは一体どういうことなのかと。「二,、三十台の患者なら、今苦痛に耐えると、余命は長い、が、七十近い肺がんをかかえた患者は全く違う。医者はこうしたことまで考えて治療しているのだろうか」という彼の問いかけに、たしかにそうだよなあと思わずにはいられなかった。

自分が死んでも、誰にも知らせるな、葬式もいらな.直葬でいいと彼は奥さんに遺言していたという。その言葉通り、亡くなったことは身内でお葬式などを全部済ませてから、元の職場である新聞社に連絡されたため、お通夜やお葬式には行けなかったのだが、いつも彼と一緒に飲んでいた仲間でお花を贈ろうということになり、奥様に電話したことから、49日の法要を京都の菩提寺でするのでよければいらしてくださいとお誘いいただいたのだ。

どうか安らかにお眠りください。天国では、もう飲食の制限もなく、大好きなお酒やたばこも思う存分楽しめることでしょう。もうすぐ忘年会シーズン。もう、「京都でまたみんなで一緒に飲もうよ」という誘いの電話がかからないのだと思うと、さびしくなります。、

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コメント


人は食たいけれど、食べれないときは、こんなことも考えるのですね。

音田さんの素敵な文章で、Nさんの闘病生活を垣間見ることが出来ました。

今ごろ、あちらで、たばこを吸って、いろいろと語られているのでしょうね。

投稿: 石井万寿美 | 2015年11月 3日 (火) 11時26分

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