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2017年3月

2017年3月25日 (土)

fair(公平さ)・unfair(不公平さ)

君が代も日の丸もなかったけれど、いい卒業式だった。

下の孫が、今春、大阪府内の私立中学を卒業することになり、25日がその卒業式だった。親の仕事の都合で、急きょ、祖父母の私たちが出席したのだが、従来の卒業式の定番だった「君が代」や「蛍の光」の斉唱もなく、送辞や答辞も、決まり文句の形式的な内容ではなく、子どもたちが自分のことばで素直に気持ちを表現している内容で好感がもてた。

大阪でも有数な進学校のひとつなのだが、想像以上に自由な校風のようなのが少し意外だった。とくに心を打たれたのは、式の後、教室に戻って、担任の先生から一人一人が卒業証書を受け取った後に、先生から巣立ちゆく子どもたちへ送られたメッセージの内容だ。

まだ若い女の先生で、英語を教えておられることは知っていたが、先生にとって、このクラスは、初めて1年から3年まで受け持った初めての子どもたちだったようで、彼らが卒業する日に、ぜひこの話をしたいと思っておられたという。

先生はまず生徒たちに、これまでの人生で、世の中が不公平だと感じたことはないかを訪ねられた。自分より家が金持ちだとか、頭がいい、あるいは人に好かれるなど、自分と相手を比べてうらやんだり、ひがんだりしがちだが、この世の中に、本当にfair(公平である)と言えることがいくつ存在するか考えてみたことがあるかと問いかけられた。人はあらゆる場面で公平さや平等を求め、自らの不利な立場を訴えようとするけれど、世の中には、求めたくても求められない公平さもあることを知っておいてほしいと先生は強調された。

このあたりまでは、普通の訓話と思って聞いていたのだが、その後で先生は、現在も治療中であるというご自身の病気の体験を打ち明けられた。22歳の時、先生は人生が一変んするほどの大病をして数回にわたる手術を受けたのだそうだ。何とか命を取り留め、今生きているが、病気になったことで、それまでの夢や過去の努力は全部奪いさられ、起き上がれない、歩けない、しゃべれない、食べられない、痛みで夜眠れないという生き地獄のような毎日をおくるはめになった。自分の運命をのろい、「こんなん、不公平や、何も悪いことはしていないのに、なんで私だけこんなに不幸なんや」と、周囲を恨み、毎日、泣いて過ごしていたという。

1年ほど経過したとき、見かねた兄から、こう諭された。「お前の辛い闘病生活を知っている兄であっても、俺はお前を可哀想だとは思わない。病気になったら、可哀想な人生なのか!? 病気だから不利?不公平?じゃあ、皆がお前と同じ病気になったら気が済むんか。もっとちゃんと生きて生きろ!」

その言葉に先生はハッとした。そう、人は生まれた日も場所も異なり、顔、形すべて異なるのだから、fairなど人生の始まりから用意されていないのだと。そして、生徒たちにこう語りかけた。「みんなもこれから、先生のように、思わぬ障害や問題に直面して、理不尽さや不公平感を抱くこともあるかもしれないけど、そこにただひたすら不公平感を抱いてうづくまっていてはいけない」と。

さらに、先生は「私たちに唯一最初から等しく用意されているのは、「今生きている」ということだけなのではないかと語られた。生きる長さも人それぞれだから、「今」という時間だけが唯一公平ななのかもしれないと。「君は「今」生きている、あいつ、あの子と同じ「今」を。どうせ生きるなら、生きて生きるべきだ、この「今」を―ー。

先生も、お兄さんのことばをきっかけに、ようやく自分の運命を受け入れ、自分の人生に向き合い再び前に進み始めた。今もハンデに悩まされ自分の体の不自由さを許せないこともあるけれど、あきらめていた大学院進学を果たせ、両親から無理だと反対されていた就職も果たした。以前のようにスポーツを楽しめないにしても、歩けるし、そこそこ走れる、そして何より可愛いこんなに生徒に囲まれている。このまま目が覚めないでほしいと願った私はいつのことだろう。

「私は再び生きて”今”を生きている。君たちもうまくいかないことがあって、人と比べては「あー、こんな自分じゃ、この先どう頑張っ立って無理匙を」と投げてしまうこともあるかもしれない。でも、そんなときは、心でこう叫んでほしい。『だから、それが何なんだ!』と」。

先生はこの話を学級通信にも載せておられ、その最後にこんな追伸をつけておられた。

<私が教師になることを決断したのは、この病気がきっかけです。、私に与えられた試練から私が授かったものを子供たちに語りたい。語ることで、子どもたちの人生に役立ててほしい、そう思ったからです。将来は商社に勤めるか、海外で自分の会社を創ると豪語していたので、学生時代の友人はみな目を丸くして言います。「あんたが先生?!」てね。そんな夢を語りあった私の旧友の1人が4年前に亡くなりました。これで私が失った友人は3人になりました。人の命は儚い。度の命も大切なのに、命の長さは不公平、生きる長さよりもまず、「今」ちゃんと生きていることが大切なのだと思うのです>

話を聞きながらあ、涙ぐむ父母もいた。先生も話しながら感極まり、言葉をつまらせる場面もあったが、すかさず、前列の男の子がハンカチを差し出した。クラス全体がひとつにまとまった印象のお別れ会だった。こんな先生に、3年間受け持ってもらった孫とその同級生たちは本当に幸せだなあと思った。

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