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2019年4月 4日 (木)

フェイスブックの不思議

フェイスブックを始めて、もう何年になるだろうか。職場の後輩がフランスに短期留学する間、現地からの報告をフェイスブックでするからと言われて始めたのがきっかけだが、アメリカに住んでいる姉やその親族とも、これがきっかけで新たなつながりが生まれ、英語で寄せられるコメントに返事をするのに四苦八苦するなど、想定外の苦労もあるが、時差を超えて、何物にも代えがたい魅力だ。

しかし、私ももう後期高齢者と呼ばれる歳で、姉はこの1月で90歳になった。住居が冬は雪が積もる寒い地方にあるとかで、このところ、毎年の意ように、冬に間はクルーズで世界各地を回っており、珍しい景色や船上での楽しいイベント等の写真入りのたよりが、今年も毎日のように届いていた。私の友人たちとも、フェイスブックでつながって、お互いの投稿にコメントしあうこともあり、ネットの面白さを味わってはいるが、もし、病気になったり、万一死んだりしたら、この投稿の記録はどうなるのだろうと、ふと考えた。

偶々、私が元いた職場の同人会会報の原稿を見ていたら、その中に2年前からフェィスブックを始めた人の話が載っていたのだが、その人が始めたきっかけが、同じ職場のほかの部署の先輩が投稿しているページに出会ったのがきっかけだったようだ。2012年2月から始まり、20013年9月で終っている最後の投稿は「余命1-2ヶ月と宣告された」と記されていたという、その日ニアップされていた自分の写真が、結果として遺影になったようだと記されていた。そうか、その人が亡くなっても、ページは残るのかと思うと、ちょっと複雑な気持ちがした。

この広い世界の中に、こうした幽霊ページがたくさん浮遊しているのだろうか。自分の意思でそれまでの記録をすべて消去することはできそうな気がするが、消去できないままにあの世に行った場合、フェィスブックの記録はどうなるのだろうか。もともと、こうしたコンピュータの世界に詳しいわけではなく、このブログやフェィスブックを立ち上げる時も、親しい知人に頼んで立ち上げてもらったのだが、自分がmっと年をとって、頭がぼけたり、突然の病気で倒れたりしたときのことを考えておかねばならないなと思う。

でも、考えてみれば、このブログも同じことだ。最近は、簡単に写真入りで投稿できるフェイスブックの方に専ら投稿していて、こちらはさぼり気味だが、後世まで残るページだと思うと、何だか書くのがこわくなる。などと云いつつ、久しぶりのブログにこんな悩みを投稿しました。

 

 

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